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姉モノローグ(以下、M)「実家で一人暮らしをしている母と連絡が取れない。妹からの電話があったのは、昨日の晩のことだ」
妹 「ねえ、お姉ちゃん、お母さんと連絡が取れないんだけど」
姉 「携帯は?」
妹 「電源が切れているか電波の届かないところに―って。ずっと」
姉 「どのくらい?」
妹 「もう二週間―」
姉M「三年前に父を亡くしてからというもの、ふさぎ込むことの多かった母。少し心配だ。私は仕事が忙しく、母のことはみんな妹に任せきりだった」
妹 「それでね、ちょっと気になってることがあるんだけど…。一ヶ月前に実家に寄ったときにね、ダイニングのテーブルに本が置いてあって…」
姉 「本?」
妹 「エンディングノート、なんだよね」
姉 「何それ、エンディングノートって」
妹 「知らないの?ほら、最近よく本屋で売ってる―遺産のこととか、尊厳死のこととか、お葬式はどうするかとか、そういうのを書く…遺言状みたいなやつ」
姉 「ゆ、遺言状!?」
妹 「わかんないよ、わかんないけど…」
姉 「わかんないって、あんたが心配してるってのは、そういうことでしょ?」
妹 「お母さん、しばらく元気なかったし…ごはんも最近はスーパーで総菜買って済ませていたみたいだし…それに、私ももう長くないとかなんとか…言ってたような」
姉M「まさか―。背筋が冷たくなった」
妹 「ねえ、明日の朝、一緒に実家行ってくれない? 大丈夫だとは思うんだけど、私、怖くなっちゃって」
姉M「翌朝早く、私たちは隣町の実家に向かった。もしものときは、男がひとりいたほうがいいと思い弟も呼んだ」
姉 「おかあさーん」
弟 「窓は全部カーテンが閉まってるな。おい、お前玄関の鍵持ってんだろ」
妹 「う、うん、いま空ける」
妹 「私、怖いよ…」
姉 「いいから、行くよ」
姉 「おかあさーん」
弟 「母さーん。おい、大丈夫かー」
姉M「郵便受けには、何日分もの新聞が積み重なっていた。孤独死、という言葉が頭をよぎった」
弟 「寝室にも居間にもいないな」
妹 「台所もお風呂場もいない」
姉M「家の中は静かだった。きれいに整頓されている。私は思った。まるで、長い旅に出る人の部屋のようだ」
妹 「ねえ、お姉ちゃんこれ!」
弟 「エンディングノート…」
妹 「テレビの上にあった。どうしよう」
弟 「開いてみろよ」
妹 「ええっ、私無理。お姉ちゃんお願い」
姉M「エンディングノートの表紙を開こうとした、そのときだった」
三人「(驚く)!!!」
母 「あらー、あんたたち来てたの?」
妹 「お母さん!」
母 「何よ、揃いも揃ってこんな朝っぱらに。そんな真っ青な顔して」
妹 「生きてたの!?」
母 「何言ってんのよ」
姉 「お母さん、なんで電話出ないの!?」
弟 「心配したんだぞ」
姉 「ていうか何、そのリゾートな格好」
母 「あ、ちょうどよかったわ。はいこれ、お土産」
姉M「母は、友達とオーストラリアに旅行していたのだと言った」
母 「あんたたちに空港からメール送ったつもりだったんだけど。あら、送れてなかったのね、ごめんなさい。充電器忘れちゃって、わからなかったわ」
妹 「どれだけ心配したと思ってんの!」
姉M「その夜は、久しぶりに家族揃ってお寿司を取った。正月以外で家族みんなが集まるのは、父が亡くなってからはじめてかもしれない」
母 「私もねえ、人生にちょっと疲れていたのね。そろそろあんたたちに色々引き継ぐ時期なのかなって、それ、エンディングノートを買ってみたのよ。本屋さんで見つけて。そしたらね、なんだか逆に忙しくなっちゃって(笑)。銀行に行ったり、税理士さんと会ったり、書類の細かい字が読めないもんだから新しい老眼鏡作ったり。そしたら眼鏡屋さんでばったり、学生時代のお友達に会っちゃって。同窓会する? なんて話になったの。お世話になった先生が94歳でブリスベンに住んでるっていうから、会いに行っちゃおうかって、んもう、あれよあれよと…(笑)」
弟 「そういうの、ちゃんと言ってから行けよ」
母 「だってあんたたちうるさいじゃない。外国なんて心配だって言われそうだったから」
妹 「お母さんっ」
姉M 「その夜は、母のオーストラリアの土産話で盛り上がった。いままで聞かされなかった昔話もたくさん聞いた。学生時代の話も、父とのなれそめも。母はいきいきとしていた。母が買ったエンディングノートの最初のページには、自分の人生に起こったこと、つまり自分史を書き込めるようになっている。そのページは、まだまだ、余白がたっぷりと残っている」
製作・著作:BSN新潟放送
制作協力:劇団あんかーわーくす
脚本:藤田 雅史(ふじたまさし)