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孫M「今朝、祖母が亡くなった。八十四歳。自宅で静かに息を引き取った」
娘1「しかしお母さんも大満足よねえ、還暦すぎてからは悠々自適。好きなように遊んで暮らしたんだもの」
息子「毎年旅行に出掛けてなあ。昔はケチな母親だったのに、年寄りになった途端に贅沢三昧。おかげで遺産なんてこれっぽっちしかない」
娘2「そうよ、私たちなんか年金がどうなるかもわからないもの。あんなふうにはいかないわよねえ」
娘1「ほんとほんと。羨ましいわよ、大往生よ」
息子「お陰で一番いい思いをしたのはお前だぞ、おばあちゃんに何回海外旅行に連れてってもらったんだ?」
孫M「おばあちゃんらしい、明るいお通夜になった。お酒を飲んでお寿司をつまみながら、大人たちは口を揃えておばあちゃんの人生を羨んだ。それを聞きながら、僕は悲しいのに、うれしくなる。なぜなら、そ
れはみんなおばあちゃんの思惑通りだからだ」
孫M「あれは、おばあちゃんとはじめて海外旅行をしたときのことだ。行き先はヨーロッパ。おばあちゃんは七十歳を過ぎて突然、外国へ行きたいと言い出した。家族はみんな反対した。でもおばあちゃんは行く
と言ったらきかず、結局、ひとりで行かせるのは心配だからと、世話係として僕がついていくことになっ
た」
孫M「それはものすごく贅沢な旅行だった。ロンドンでオペラを観たり、ウィーンでコンサートを聴いたり。ホテルはどこも五つ星。まだ大学生だった僕は、それまでずっと倹約家だったおばあちゃんの変化に驚
くばかりだった。最終日の夜、パリの高級レストランで、僕はおばあちゃんに訊ねた。どうしてこんな
贅沢な旅行をする気になったのか」
祖母「そりゃあんた、こんな贅沢な旅行をしたら、誰だって羨ましいと思うじゃない」
孫 「それってどういうこと? 自慢したいってこと?」
祖母「ふふ。あのね、私のお母さん、つまりあなたのひいおばあちゃんがね、昔言っていたの。一度でいいから外国を旅行してみたいわって。今みたいに気軽に来られる時代じゃないわ。でも、いつかは行かせて
あげたいなって思ってたの、親孝行しなくちゃって」
孫 「うん」
祖母「何度かね、チャンスはあったのよ。でもねえ、家をリフォームするのにお金を使ったり、会社を大きくするのに資金繰りが大変だったり、子どもたちの学費もあったし、そうこうしているうちに、旅行なん
てろくにさせてあげられないまま、歳を取らせちゃったのよね」
孫M「おばあちゃんは美味しいワインにちょっと酔っていた」
祖母「そうこうしているうちに、病気になって、もう旅行なんてできなくなっちゃったの。亡くなった時ね、私はうんと後悔したのよ。ああ、親孝行できなかったって。どうして夢を叶えてやれなかったんだろうって。私たちがお金を出してあげなくてもね、お父さんの遺産もあったから、行こうと思えば、行けない
こともなかったと思うわ。でもきっとね、お母さんは、私たちが毎日一生懸命に働いているのを見て、
自分だけ贅沢するわけにはいかないって思ったのよ。そういう人だったわ。お葬式のときに私思ったの。
ああ、私たちが我慢させちゃったんだわって。だからね、私は自分の人生の最後には、やりたいことを
思いきりやろうって決めたの。そうすれば、自分の子どもたちはあんな後悔、しなくて済むでしょう」
孫 「…」
祖母「私のお葬式の時にね、家族みんなが言うのよ。あの人はわがまま放題生きて、幸せな人生だったなあ。さぞ満足でしょうねえって。うふふ。それが楽しみなの」
孫M「だから、これからも体力が続く限りいっぱい旅行をする、とおばあちゃんは言った。そして宣言通りに、おばあちゃんはそれから毎年、海外旅行に出かけた。家族に認めさせるために、僕をお供に連れて」
孫M「遺影のなかのおばあちゃんは、してやったりの顔で満足そうに笑っている。この写真は、一昨年の旅行のとき、ハワイで撮ったものだ。きっと、これから天国に行って、ひいおばあちゃんに土産話をたくさ
ん披露するのだろう」
製作・著作:BSN新潟放送
制作協力:劇団あんかーわーくす
脚本:藤田 雅史(ふじたまさし)